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大好きな先輩その2

3人姉弟の一番上に産まれた私は、かなり母親に拘束されていたようだ。
小学校に入学した時、学校でお友達と放課後に遊ぶ約束をしてはいけないと母に言われていた。隣の学区域に越境入学していたせいもあるが、弟が私について行きたがるのを牽制するためだった。
 
だから、近所に遊べる友達がいなかったので、家に閉じこもる子供だった。

中学は、通っていた小学校の学区とはまた別の隣の学区だった。新橋演舞場の先、高速道路のすぐわきに校庭がある学校だった。

部活が終わると、山野楽器やヤマハにリードやら楽譜やら買いに銀座で寄り道するませた中学生。それでも、親の影響が強く残っていたので、“聞き分けの良いいい子”成績もそこそこAクラス。


そんな私でも、高校に入学したら、親からはちょっと抜け出せたようだ。だって、地下鉄に25分も乗って通学してたんですもの。

夏のスキー部はただひたすら体力づくり。本当は運動音痴の私はいっつも練習をさぼっていた。本が読むのが好きだし、歌ったり、楽器に障ったりするのが好きだった。それから、考えを同じくする人たちが集まって、なにかをしているのを、渡り歩いて見ていくのが好きだった。って、ただ単に、物珍しいがりやだっただけ。



夏休みが終わった頃、文化祭の準備が始まった。都立高校で予算もすくなかったから、プログラムを手作りしていた。わたしも加わることにした。毎日毎日、集めた原稿をガリ切り(年齢がバレバレですね。)し、印刷して、紙を折り製本した。家に帰るのは10時を過ぎることもしばしば。さすがに親に叱られてしまった。「あんた、糸の切れたタコだね。どこかに飛んでってる」


叱られた翌日、いつも作業をしていた部屋でしょんぼりしていたら、責任者の先輩が、声をかけてくれた。事情を話すと、
「お母さんに話してあげる。」といって、電話をしてくれた。


1年上の2年生だから、親にしてみれば私とたいして違わないはず。それでも、違うんですね。母は納得してくれた。それから、文化祭の最終日まで、親に気兼ねせず準備に没頭できたので、とっても嬉しかった。


それから、2年ほどして、母の妹である叔母が
「若林君、知ってる?」
と、言ってきた。先輩のお母さんと叔母がお友達だったんですって。



上に兄姉がいない私にとって、先輩はとっても優しいお兄さんだった。頼ることができたし、教えてもらえもした。ちょっと憧れる気持ちもあったけど、私は恋愛の対象ではなかったようだ。


高校の先輩である夫と先輩が同級生だったことは、結婚して3年くらいしてから知った。夫にその時の話をしても、
「ふ~~~~ん」て感じ。気にも留めていないようだ。ちょっとはやきもちやいてもらいたいのに。
by m_n_k_5604 | 2013-10-27 23:29

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by アトム